ダチョウが好きなわけでも何でもない私のブログアイコンがダチョウである理由。
私のブログのアイコンがダチョウである理由という、ホントにどうでも良いことを記します。
ブログアイコン選定基準
ブログを始めて5カ月半が経ちました。
1か月目の時に書いたこの記事の通り、全くの初心者が突然の思い付きで始めたこのブログ。
まだまだ初心者の域を出ませんが少しずつ勉強し、ブログのカスタマイズやまとめかたについての理解が深まってきました。
最近は吹き出しの使い方を覚えました!
ココナラも初めて使ったね。この素材もココナラで32表情パターンを1,000円で購入しました。自由に使用できる権利を買った、という形ですね
枠で囲めるようになりました
少しずつでも、自分のペースで理解を深めていっている訳ですが…。
6月1日にブログを始めた時は
「はあ...。アイコンねえ...?よくわからんけど、とりあえず部屋ん中にある自分の象徴的なものを写真で撮って、それをアップすれば良いわけね。」
といった程度の理解でした。
そうして部屋の中を見渡して、最終的に候補が2つに絞られました。
これがアイコン素材だ
最終候補の2つ。
ひとつはツカンカーメンちっくな、よく分からない人工大理石?のやたら重たい置物。
そしてもうひとつが現在のアイコンに選定されている,ダチョウの卵の置物です。
父との思い出
この2つの置物は父との思い出の品です。
ツタンカーメンは父のエジプト土産。
父は船乗りでした。正確には無線通信士。
「船が沈むとき、船長の次に最後まで船に残ってSOSを打つ仕事じゃ」
子供の頃父の仕事内容を聞いた時に、父はそのように教えてくれました。
1970年頃。まだ世界が今ほどは狭く感じなかった時代。
高卒の父は「世界を見たい」と考え専門学校に通い無線通信士の資格を取り、船に乗りました。中型船、大型船に乗って世界中を回る仕事です。
長期間拘束され、またそれなりに危険が伴う仕事です。給料はそこそこ良かったのだと思います。ウソか本当かわかりませんが、海賊に襲われたとか色々な逸話を話してくれました。
1年の2/3は船に乗っていて世界中を回り、日本に帰国するのは船が寄港している数か月です。
父が日本にいる数か月間、母親と私含めた子供4人合わせて計6人で思いっきり遊び、出航の時はみんなで泣きながらお別れをする。
父が海外にいるときは手紙や電報でやりとり。次に会うのは半年後。
一度、父の悪い冗談で警察に保護されたことがあります。
あれは小学2年生の時。
出航を次の日に控えた父が「じゃあ、行ってくるけん。元気でな」と玄関を出ていきました。慌てて追いかけたのですが、父が乗った車はそのまま庭を出ていきました。
妹を幼稚園に迎えに行っただけだったのですが。
パニクった私は、その夜1泊宿泊すると聞かされていた隣町の祖父の家に走っていくことにしました。
隣町まで10km以上あります。
そして山を越えなければならない。
薄暗い中1人で泣きながら小学2年生の男の子が隣町までの山道を歩道も無い中走る。6kmほど行った山の頂上らへんに300mほどのトンネルがあります。そこを泣きながら走りトンネルを越えたところで完全に暗闇(田舎道の暗闇です)。そこでたまたま通りかかったパトカーに無事?保護してもらいました。
もちろん自宅では私が何故かいないため大騒ぎになっていましたが。
嫁様とそこを通りがかる度に「信じられるか?俺8歳のときここまで走ったんやぞ」とゲラゲラ笑います。
ウチの田舎だけなんでしょうかね?保育園の時も1kmほど兄と2人で通ってましたね。時代でしょうか。
好き勝手に男のロマンを追いかけた感のある父です。世界で行ったことが無いのは南極大陸だけだと豪語していました。
一番偉いのは、父親が日本にすらいないのに、子供4人を立派に育て上げた母ですね。
そんな父も12年前、母は8年前、癌で亡くなりました。
父が意識を失う数日前、病床で急にアイスを食べさせてくれと言いました。もう自分では食べれないので、スプーンで食べさせてあげました。
「お前のために食べさせてもらうんよ」
と言ったのをよく覚えています。
さて、ばーっと思うままに書いてしまいましたが、もう12年と8年が過ぎました。とっくに心の落とし前は付いています。本来書きたかったのはしんみりした話ではなくて。
このダチョウの卵は
私が11歳の頃、父は無線通信士の仕事を辞めてそれまでの人脈を生かし突然ダチョウの卵を輸入しました。
1万個程。
それを置物としてお土産売り場で売る算段でした。で、お土産屋さんは観光客に売る。ターゲットは動物園やサファリパークだったのだと思います。
ただのダチョウの卵では転がってしまいます。父が電動糸鋸でベニヤ板を切り、台座をこしらえ、それをニスで塗り、卵に固定します。
その横で私は動物図鑑を見ながら、本物を見たこともないダチョウの絵を描いていきます。
このダチョウの卵に描かれた絵は昔11歳の頃、私が描いた絵なんです。
そして父との共同作業で出来上がったこのダチョウの卵の置物は、私の大切な思い出の品になっています。
全く売れませんでしたが。
売れなかったから私の手元にあるわけです…。
気付き
そんなこんなでブログアイコンとなったダチョウの卵に描かれたダチョウですが、ブログを始めてすぐにキャラクターアイコンの方が圧倒的に多いことに気付きます。
それはそれ。ひとはひと。
別に気になりませんでした。
でもあるとき唐突に気付いたことがあります。
めちゃめちゃ人相?悪くね?
自分で描いておいてなんですが、
この人相は良くない。
猜疑心が強そうというか・・・。
根性ひんまがってるというか・・・。
人を信じれない性格というか・・・。
どうみても性格は良くなさそうです。
ツイッターのプロフ画像はカナヘビとコラボすることで、さらに混沌としています。
他にアイコン探してみたけど
アイコンはブログの顔です。
もうちょっと可愛らしいダチョウは無いかと少し無料イラストを探してみました。
性格は多少良さそう。
てか俺の卵の絵とタッチが似てるな・・・。
先に描いたのは俺やぞ。30年前(笑)。
違う。
う~ん・・・。
かわいいけんど、なんか違う。
いや全然違う。
ん~・・・。
な~んも考えてない軽いヤツに見える。
絶対違う。
そして気付きます。
私は父との共同作業でダチョウの置物を作った思い出を大切にしているわけであって、
ダチョウそのものは好きでもなんでもないことに。
というよりも、私の人生にダチョウは何の関係もありません。
ブログの顔を変えれなくなった
本当はこんな軽いタッチのイラストが良いとは思うのですが・・・。
なんていうんでしょう。
掲げる必要の無かった自分の最も大切な旗。
それをわざわざ自分で揚げてしまった。
アイコンとしてはイマイチと気付いてしまったのですが、一度掲げた大切な旗なだけに下げるのもなんか抵抗がある。
もう人相の悪い自分が描いたダチョウをアイコンとして掲げ続けるしかなさそうです。
なんだその目つき。イメージ悪いぞ。
でもこいつと心中決定。
ダチョウおじさん決定です。
なんで30年前、もっと可愛く描かなかったのか…。
まとめ
好きにしなはれ、という話で申し訳ございません。
いつもに増してどうでも良い話ですが、ちょうど1週間ほど前にココナラで『3,000円くらいでアイコン作ろっかな~…。いやいや、このままダチョウでいこう』と決めたところでしたので、書かせて頂きました。
ブログアイコン。
記事をぱっと見た時にタイトルと同時に目に飛び込んでくる大切な要素のひとつ。
ブログ初心者の私は、ブログ開始初日に「自分の身近にある中で最も大切で象徴的なモノ」という基準で選定し、もう変えることができなくなりました。
記事でよく書く株やサラリーマンあるあるやキャッシュレスとは何の関係も無いダチョウおじさんを貫きます。
私よりもブログ初心者の方は、ご自身の後々のブログ展開まで熟考した上で、ブログの顔ともなるべくアイコンを選定されてはいかがでしょうか(お前が言うなっていうね...。)